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2015年6月13日、第七回のくまくま会例会が日本大学で行われました。

文芸批評家の佐藤康智さんと文学研究者の浅野麗さんによる研究発表,作家の中上紀さんによる講演,およびお三方による鼎談が行われました。テーマは「時代が終わり、時代が始まる」ということで、中上健次のターニングポイントとも言える一瞬を切り取り、発表していただきました。

 

まずは佐藤康智さんの「中上健次・1978 ~あるいは「トラック野郎」と「日輪の翼」~」の発表からスタートしました。1978年の中上健次の旺盛な活動を確認した上で、様々な論が展開されていきます。日本や世界を飛び回る中で逆照射される熊野という土地。成田空港反対同盟青年行動隊や右翼青年など、血気盛んな若者への眼差し。当時の中上の興味の矛先を見ていった上で、なんと論は「トラック野郎」や「男はつらいよ」に展開していきます。「日輪の翼」と「トラック野郎」の類似点など、いままで言及されることはほとんどなかった、中上作品とこれら映画の共通点を探るという、いささかトリッキーであるように見えながら、作品の核心をついた発表は、批評家・佐藤康智さんの独自性、エンターテイメント性、鋭敏性を思う存分に発揮したものでありました。

 

 続いての発表は、浅野麗さんの「中上健次・一九八四 フジナミの市から考える」です。主に、中上の長編小説「異族」の作品分析を中心とした研究発表でありました。まず、二つにぶった切った状態の文庫版「異族」を見せてくれた浅野さん。どのようにぶった切ったかと言うと、『群像』連載の中断前後で二つに分けたもので、こうすることにより、それぞれの執筆した分量のアンバランスさをわかりやすく提示してくれました。

「遺族」の登場人物であるタツヤと夏羽を中心に分析が進められていきます。決定不可能性がちりばめられる語りの中で、タツヤと夏羽の優位性や主権獲得の争いなどを指摘していきます。その中で浮上して来るのが、「フジナミの市」という土地でした。「路地」解体後に現われる「フジナミの市」という土地は、「路地」との共通点を多分に持ちながら、「路地」との差異をも示すトポスであり、同化と差異化の反復の中で、煩悶や混沌のなかでタツヤや夏羽が生き、そして死んでいく様子が浮かび上がって来るようでありました。

綿密な作品分析を礎としながら、切れ味鋭く作品へ切り込んでいく、気鋭の研究者。浅野麗さんらしい緻密で力強い研究発表でありました。

 

最後に登壇していただいたのは、くまくま会も毎度お世話になっている中上紀さんです。「中上健次・2015」というテーマで、近年の中上健次の受容について語っていただきました。

中上健次の話に入る前、紀さんは前日まで行っていたネパールの話をしてくれました。地震の傷跡はまだ生々しく、これからの支援の必要性を訴えました。実際に現地の状況を目にしようという紀さんの行動力に、心を打たれました。

 近年のインスクリプトからの「中上健次集」の刊行や、池澤夏樹さんの日本文学全集の中上健次の巻についての紹介を皮切りに、近年の熊野大学の活動を紹介していただきました。毎年、色々な形で中上健次に接近し、また新たな試みを果たそうとしている熊野大学の壮大な試みに、改めてその凄さ、知識の探求心の無限性を感じました、

 今年の熊野大学のテーマは「戦争」がテーマということで、いまから何が討論されていくのか、期待しております。

 

 なかなか見ることが出来ない、批評家・研究者・作家の三者三様の発表に、くまくま会ならではの自由さ・有意義さを感じ、心躍りつづける贅沢な時間でした。


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